にあんちゃんの里〜旧 杵島炭鉱大鶴鉱業所
(2004年7月31日撮影)
   「どん底の貧しい生活の中で明るく生き抜く10歳の少女の日記、昭和28年から親もない家もない兄妹4人が厳しい現実の中 でくじけることなく、いつも励まし合って生きる姿を正直に綴った日記は生のままの描写で時代を越えて読者に深い感銘を与える。
 当時4000人の人が居住した大鶴の地も今や50人程の人が暮らしています。にあんちゃんの発祥の地に大鶴炭鉱20年のあ ゆみとにあんちゃんの日記の一部を刻し訪れる人々の兄妹愛、家族愛の醸成を願うものです。」 (にあんちゃんの里記念碑より)

 佐賀県東松浦郡肥前町大鶴。1936年、ここ大鶴にあった香春炭鉱と隣接の唐津炭鉱を杵島炭鉱が買収し、杵島炭鉱大鶴鉱業 所となる。昭和11年、太平洋戦争中、国策により朝鮮人や中国人を多数日本国内に強制連行せしめ、炭鉱等で強制労働させた。
 昭和20年終戦により、同年9月から12月にかけて、これら朝鮮労働者らは帰国していったが、一部、大鶴の炭鉱住宅等に残 った。

 「にあんちゃんの日記」の作者 安本さんも韓国籍であったが、安本さん一家の場合、昭和2年、父母が家庭の事情により、全羅 南道宝城郡から新天地を求めて北九州に渡り、最後、入野村の大鶴鉱業所という中小炭鉱で臨時雇いの炭坑夫となった。そんな中、 昭和18年、作者 安本さんが東松浦郡入野村で生まれた。しかし、母を三歳で失い、父も小学校3年生のときに亡くして、兄妹4 人だけの暮しとなった生活はそれこそ「どん底の貧しい生活」の日々であった。しかし、「明るさを失わず、力強く生きてきた」 兄妹たちの姿は、今もなお私たちに感動を与え励みになっている。「にあんちゃん」は昭和34年、日活から映画化もされた。  (西日本新聞社「にあんちゃん」参照)

 なお、杵島炭鉱大鶴鉱業所は、国策により昭和31年12月閉山。同月、入野小学校大鶴分校も閉鎖された。家族を含めた約20 00人は北方、大町、江北の3町に移住し、今もわずかに残る炭鉱住宅には当時の人たちはすでにいない。

 しかし、有志により、炭鉱があったここ大鶴の地に2001年秋、「にあんちゃんの里」記念碑が建立され、この碑を訪れる人々 に、「家族愛」「きょうだい愛」の大切さを伝え続けている。

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