鉱害  福岡県田川市および直方市 (2004年8月4日撮影)


 昭和14年、鉱害法の改正があり、それによって鉱害賠償に関する規定が創設され、いわゆる 無過失賠償責任が鉱業権者に課せられることになった。一方、鉱害地の復旧に対しては、国庫補助を要請する運動が続けら れ、福岡県は昭和14年度から17年度までの四ヵ年に国庫補助2億7044万円の交付を受け、県費補助を加え、その他は鉱業権者 が負担して、305町4反の鉱害農地を復旧した。

 しかし、昭和18年から戦局の進展にともない、国庫補助は打ち切られ、鉱害問題は放置されてしまった。この間、戦争遂 行のため採掘上の常識さえも無視した石炭増産が強行され、特に地表に農地や家屋がある平坦地の地下を採掘した筑豊および 九州の各産炭地では、激しい鉱害を起こした。(田川市史下巻より)

鉱害復旧記念碑

 「本工事は三井石炭鉱業株式会社田川事務所が鉱害地を臨時石炭鉱害復旧法に基づき土地改良 工事施行したものである。総面積408.303平方米、施行期間 昭和63年3月〜平成2年10月」と碑文に記されてある。
 こういった復旧記念碑はあちこちに見られ、当時、堤防に高い壁を造らないと水があふれ出た川や、上流と下流の高低差が 逆転して水が水田地帯に流れないといったような問題が多く発生したという。

直方市下境付近

 場所は、直方市下境付近 県道22号線沿いに建つ商店である。最初からこういう状態であったのではなく、建物のすぐ下 を坑道が走っているため地盤が沈下して、店の出入口が高くなったため、後から階段を取り付けたものである。この店にあっ ては、階段の上にさらにコンクリート製の踏み台を重ねて急場をしのいでいる。こういった建物が22号線沿いのあちこちに 見られる。

直方市下境付近

 嘘か眞か、夜中周囲が寝静まったころ、耳を澄ませば、「地面の下から炭坑で働く男たちの 話し声や笑い声が聞こえた」という。

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